人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

会社を辞めてわかったこと③いつか死ぬのだということを自覚する。

俳優の大杉漣氏が亡くなってかなりたつというのに

いかに愛されていたのかという報道が未だに続いている。

 

出演しているドラマがまだ放送中ということもあるが

今までこれほどまでに

亡くなったあと

いろんな関係者が多くのエピソードを語り

そして

その事実を受け入れられていないようなケースは

ちょっと記憶にない。

 

みんな

信じられない、

ということだと思う。

 

そして、

いろんなことを考えさせられるきっかけにもなっている。

 

このニュースを私もネットで知った。

 

そして

その瞬間強い衝撃を受けた、

自分でも信じられないくらいに。

 

元気に撮影をしていた人が

その夜いきなり具合が悪くなってそのまま亡くなってしまう、

ということが

なかなかないことでもあるし、

何といっても

66歳という年齢が

今の時代ではなかなか死に結びつかない。

 

70代、80代でも元気な人はいっぱいいる時代だ。

90代だって100歳を超えても、もちろん驚かなくなっている。

 

私の感覚でも

亡くなった人の年齢をきいて

なかなか納得できないことが多くなっている。

 

だから

この66歳という年齢が

自分とあまり変わらない

もうあと何年かでたどりつく先でもあるので

その分だけ

受け入れがたく感じてしまうのだろう。

 

そして、

多くの人がこの訃報に対して

さまざまな感想を口にしているが、

やはり、

『寿命だった』

という言葉がいちばん信じられる。

 

そうなのだ。

人はいつか死ぬ。

 

私も今まで多くの人の死を経験してはいるものの

自分にとっての死はまだ実感がないし

遠いものだと信じているのだが、

実はそうではない。

 

死というものが

実はぼんやりとではあっても

自分の視界の中にはあるものだということを

今回

はっきりと自覚した。

 

会社にいると

基本

年齢と関係ないところで業務はあるし

それによって制限を受けることはない。

 

自分の歳を気にしないで

仕事に没頭できるというのは

幸せなことでもある。

 

だから私も

さすがに誕生日が来たら自分が何歳だということは

確認していたつもりだが

自分の年齢を

次第に尋ねられることもなくなっていったから

正直白状すると

自分が何歳だということが

すぐには思い出せなくなっていた。

 

訊かれても

すぐに自分の年齢が口に出せなくなっていたのは

もちろん老化のせいでもあるだろうが

ひよっとしたら

積み重ねていった自分の歳を

受け入れたくないという

防衛本能だったのかもしれない。

 

しかし、

所属先もなくなり無職になると

自分のよりどころの一つは

年齢かもしれない。

 

それによって

強く感じたり

弱く感じたり

フラフラしてしまうようなもするけれど

それが

私が私であることの

ひとつの

アイデンティティであることは

間違いがない事実だろう。

 

どんなに健康に気をつけても

社会のルールを守っても。

 

この世で生きること時間には限りがある。

 

人には寿命がある。

 

いつか死ぬ。

 

自分も

いつか死ぬ存在なのだということを

改めて自覚したし

だからこそ

その前に何をやるのかということを

しっかり考えたい。