人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

親切は難しい。

私は千円程度のランチで1万円札を出すのが気になる男である。

 

その程度の支払いで1万円札を出すと

店としてはおつりで何枚ものお札を返さないといけない。

 

客だから気にしなくていいんじゃない?

 

そう思う人もいるだろうが

はっきり言って

デリカシーがなさすぎると思う。

 

子供じゃないんだから・・・

 

何年人間やっているんだ・・・

 

でもこういうことって意外に多いのでビックリする。

 

コンビニならそれでもいいだろう。

釣銭目的で少額の買い物をする人だっているかもしれない。

 

でも個人経営の小さな店で

千円札を何枚も使わせるのは客としていかがなものか。

 

ルールでは問題なくてもマナーとしてはダメだと思うのだ。

 

以前博多の屋台でワンコイン500円のラーメンを食べて

1万円札を出した若者がいた。

 

店主は困った様子で

何とかなりませんか?

と言った。

 

横で酒を呑んでいた私はもしも小銭の持ち合わせがなければ

その分を私が一緒に払ってもいいとまで思っていたのだが・・・

 

何とその客は財布から500円玉を出したのだった。

 

つまり、1万円を崩したかったのだろう。

 

それを小さな屋台でやる神経が信じられない。。。

 

財布にコインや千円札何枚かを用意することぐらい

ちょっと気を遣って生活していれば

すぐに身につく習慣である。

 

全然タイヘンではない。

 

最近では定期券のチャージなどの際に10円単位で出来る電鉄会社もあるし

1万円札を崩す機会は普段の生活の中でいっぱいある。

 

気持ちよく生活するためにもそれぐらいのことは

当たり前に身につけておくべきなのだ。

 

さて、昨日こんなことがあった。

 

ランチでときどき行くその店は

いつものように混んでいた。

 

ここで頼むのは決まって

肉野菜炒め定食750円。

 

それに半ワンタンと煮卵をつけて1050円。

ちょっと贅沢なランチである。

 

レジ近くに座った私は

何人もの客が1万円を出していることが

中越しにわかった。

 

店主が何回も

「5千円札が無いので千円札になります」

と断ってお釣りを渡していたのだ。

 

4人か5人いたと思う。

 

その繰り返されるセリフを聞きながら

私はだんだんイライラしている自分に気づいた。

 

これって1人やってそうなったら

次の人もいいと思うのかな?

それともデリカシーの無い客が

たまたまこんなにいたということなんだろうか?

 

店の奥で

「また両替してこないとな・・・」

店主の小さな声が聞こえた。

 

確かにそうだろう、

あれだけお札を渡したら・・・

 

そこで私は支払いのとき、

「ちょうど5千円札が何枚かあるので交換しましょうか?」

と声をかけた。

 

しかし、店主の返事は予想外なものであった。

 

「大丈夫です。ちょうど両替してきたところなので」

 

う、うーむ。

 

明らかにウソだと見て取れたが

食い下がるわけにもいかない。

 

このときの私は何となく自分がしたことが

良かったのか悪かったのかわからないまま

気持ちの整理ができずにフリーズしてしまい

誤作動を起こしたような感じであった。

 

しかし今冷静に考えればだが、

この店主の答えは正しいのだとも思う。

 

金融機関で両替すれば何ら問題は生じないだろうが

客と両替したりすると

もしもということが起きないとも限らない。

 

そう、偽札ということだって

可能性はゼロではないのが今の時代だ。

 

私もそこの常連とはいえないし信頼関係のない客に対して

ヘンに恩を売る?ようなことはしておきたくないと

思ったのかもしれない。

 

そういえばどこかの店でもこんなことがあったかな??

懲りない私である。

 

しかし、計算ではなく親切な気持ちから出た行為だったが

うまく着地しないと何となくスッキリもしない。

 

その数日前にこんなこともあった。

 

たまたま外出して町内の掲示板を見ていた私に

一人の若者が声をかけてきた。

 

「この画廊に行きたいんですがどっちに行けばいいですか?」

 

個展の案内状を手にしていたが

その地図がちょっとデフォルメされていて

まったく関係ない方向に来ているようだ。

 

言葉で説明してもちょっとわかりにくいと思ったので

私はざっくりとした説明をしながら大通りまで一緒に歩いていった。

 

「すみません、こんな暑い中を・・・」

若者は恐縮していた。

 

いえいえ、大丈夫です。

 

「その先の信号を左に。線路を渡ってからずっと突き当りまで行くと

駅にぶつかるのでそこからだとわかると思います」

 

私は彼の後ろ姿を確認してからもとの場所に戻った。

 

そこまでする必要はなかったのかもしれない。

 

でも確かなのは、

誰かの役に立ちたいという気持ちが強くなっていることだ。

 

しかし小さな親切も、なかなか難しいものである。

 

スッキリしたらそれだけでいい。

見返りが欲しいわけでもない。

 

しかし、それがなかなかそうもいかないのだ。

たぶん、便利な分だけ社会も複雑になっているせいなのかもしれない。