人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

もういくつ寝ると・・・2018年暮れ。

12月も半ばを過ぎてしまった。

働いていないのに何となく忙しくあわただしい。

年内にやらないといけないことをとりあえずこなしていると

それだけで1日はあっという間に過ぎていくのだ。

 

会社をやめてからの1年は思った以上に早く過ぎてしまった。

 

最初はとまどったが人間はすぐに慣れていく。

 

毎朝決まった時間に起きて急いで朝食をとり身支度して

マンションを出る生活から解放されて

最初はほっとした気持ちもあったが

これでいいのかという思いもどこかにあって

日によってそのどちらかに比重がかかる。

 

そのどちらも不安定で居心地はよくない。

それをこれからの日常として受け入れたくないという思いがあるからだろうか。

 

それを打ち消すためにも

だらだら過ごすしたくないという気持ちが働いて

予定を入れることと、それをこなすことを基本にする。

 

気持ちが本当に開放されるのは旅に出たときぐらいだろうか。

普段の生活ではどこかにモヤモヤした思いが基本残っている。

 

歳をとっても働いている人は

そういった何となくの不安を打ち消したいという思いが

あるからなのだろうか。

 

働くということはタイヘンで面倒だが収入を得ることだけではなく

予定表の大半を塗りつぶすことでの安定感を手に入れられる。

 

そしてそのときは自由が欲しいと思うが、

いざ手に入れるとそれはそれで持て余してしまったりするから不思議だ。

  

歳をとってもずっと働きたい人も確かにいるだろうし、

働きたくないけどいろんな事情があってずっと働かないといけない人もいる。

 

私はそのどちらが幸せとも思わないが、

はっきりしているのは

やがて働かない日が来るのは間違いない、ということだ。

 

長く働けば、最後は余生になる。

 

働くだけ働いたから最後はいろんなものから解放されて

のんびりしたいと思うだろう。

それもいい。

もう十分働いたから残りの人生は好きなことをして

過ごせばいいだけの話である。

 

だが私のように60歳前に会社をやめてしまうと

まだ余力がある分だけこれから先どうするかという選択肢が残っている。

 

どうやって生きていくのか。

どうやって日々を過ごすのか。

 

まだその宿題が残っているのだ。

 

1年を過ぎて今思うこと。

 

それはもう会社という組織で働くことはないだろう、ということ。

 

でも何かをしたいとは思っている。

 

だがまだそれが何かはわかっていない。

 

何となくこういうことかな、という思いを日々の暮らしの中で

確かめたり、行きつ戻りつしながらぼんやりと方向を定めようとしている感じである。

 

自分の気持ちが固まる前の熟成期間のようなものかもしれない。

 

不安定だがある意味ぜいたくでもある。

 

そこはしっかりと自覚しておきたいとも思う。

だから慌てて何かをやりたくもない。

 

ただ、残された時間は無限でもないのだ。

 

これから体力や気力は間違いなく衰えていくだろうから

何かを始めたい、何かを見つけたいという気持ちは少しずつ高まっている。

 

人はあるときどこかに導かれていくものだとも思う。

 

だからそのためにも1日1日を大切に過ごしていくしかないのかもしれない。