人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

会社を辞めてわかったこと②このままではいけない。

会社を辞めてから、すれ違う年配者を見ながら

何となくリタイアしているかどうかがわかってきた。

 

穏やかな顔つき。

 

緊張感が一日のうちほとんどなくなった生活を送っていると

人は優しくなっていくのだろうか。

 

ただ、残念ながらギラギラした瞳の輝きはなさそうだ。

静かな余生を送っていくうちに

そのともしびはやがて消えていくように

(失礼だが)

死に向かって歩んでいくだけなのだろうか。

 

やっぱりまだそんな風にはなりたくない!

 

そんな人ばかりではなく

まれにだが、

すぐにでもイチャモンつけそうな

偏屈な感じを漂わせている雰囲気の人もいる。

 

たぶん、

いいたいことがたくさんあるけど

なかなか受け入れてくれなくなっている現状が

気に食わないのかもしれないナ。

 

オレは何でも知っているんだ的な思いが充満していて

文句をすぐいうクセが身についている・・・。

 

歳をとっていくと

何でも分かったような気がしてくるのかもしれないが

それが一番危険であることはずっと感じていた。

 

サラリーマン時代も

自説をまげずにまわりが扱いに困っていた先輩を

何人も見てきたし

今住んでいるマンションでも

それなりの人生を送っているように見えて

話が全く通じない、

いわゆる『いうことをきかない』人がいたりもする。

 

いろんな経験がその人をつくり

残念ながら結果的に排他的になってしまう。

 

新しいことを受け入れず

チャレンジもしなくなり

過去の経験や実績だけでモノゴトを推し量るようになったら

これもまた社会からは必要とされなくなり

これまた死に向かっていくしかないではないか。

 

こういうタイプは質(たち)が悪い。

 

しかし、残念ながらときどきいる。

 

自分はまだ社会に通用すると自信をもっているし、

大きな勘違いしていることも多い。

 

何より、

その人のルールや価値観が時代の中でずれているのに

そのずれは自分が正しくてまわりが間違っていると

根底で信じているから

何かをきっかけにして爆発したりもする。

 

歳をとると我慢できなくなるからだが、

はた目には滑稽でもある。

 

もちろん、

こんなオヤジにもなりたくない!

 

ただ、

明らかに自分より年上だとわかる人で

まだ働いているスーツ姿の人を見かけても

何となく疲れているように見えてしまうのは

気のせいだろうか?

 

確かに疲れるよナ・・・

 

 はつらつさは

どうしても歳とともに失われてしまうだろうし、

サラリーマン生活だと

その規則性が

肉体的にも精神的にも重荷になってくる面があるだろう。

 

だから

これから間違いなく歳を取っても働ける社会になっていくことは

社会情勢からすれば否定もできないし

いい面もあるだろうが

定年というシステムで

年齢でいったん区切って

次のステップに入ることは

悪いことでもない気がする。

 

だからこそだが。

 

私もこれからどんな風にやっていくのかということが

やっぱり重要なのだろうな。

 

まだ手探りでモヤモヤしている段階だが

今まで書いたことで自分なりに思うことは

 

①瞳の輝きは失いたくない。

 

②モノゴトには柔軟でいたい。

 

そして、そのためには

 

③何かをしたい。

 

ということである。

 

そう、何をするのかなのだ。

 

だから、

 

このままではいけない。