人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

オトコマエにはカナワナイ。

昨日の夜見た番組で紹介されていた

一人の女性のことが

まだ強く残ってて心から離れない。

 

今春卒業するその女子大生は、

①網走にある大学で4年間学び、今年就職。

②高校時代は静岡で(男にまじって)ラグビーをやっていた。

③学生時代にホタテ漁のアルバイトも経験。・・・

 

記憶を頼りに書いていくと

フツーのようにも思えるけど

番組で見た彼女はそうではなかった。

 

両親が不妊治療の末に生まれてきた彼女は

卒業後の仕事として

胚培養士(はいばいようし)という

命にかかわる

専門性の高い職種を選んだ。

 

採用通知はどこかのクリニックだった。

 

知らなかったが、

胚培養士(はいばいようし)という仕事は

体外受精などの医療を行う技術者のようだ。

 

『自分にしかできない仕事をしたい』

 

彼女ははっきりそう言った。

 

自分のことを自分の言葉でしゃべっている。

 

当たり前のようだが

これはなかなかできない。

 

しかも隠すことなく

過去の自分を正直に話す。

 

今までも迷いなどなく

だからこそ

これから何があっても

笑ってすませられる

屈託のなさがあった。

 

そして

これからどうやって生きていくのか

仕事を就職という観点ではなく

生き方として考えている。

 

それも自然に、

そして本能的に。

 

転職を今よりいい条件の会社、

というメッセージでやっていたCMを今思い出したが

『条件』という視点は

残念ながら陳腐でしかないし、

損得ほどアヤシイものはないのだ。

 

彼女は

大きな会社に入って安定しようとか

収入のいい仕事につきたいとか

そんなあいまいで浮ついたものが微塵もなかった。

 

だからたぶんだが

どんな仕事をしても

そして

人生でどんなことが起きても

たくましく乗り越えていくだろう。

 

こういう人の生き方を見せられると

 

カナワナイ、

 

と素直に思ってしまう。

 

その生き方はシンプルな分だけ強いのだ。

 

自分のことを思い起こしてみると・・・

 

大学時代から東京で

仕事は面白いことをしたいと選んだ職種と会社で

長く働いてきたけど

そのほとんどは

輝いていた時代に寄り掛かって過ごした時間だったし、

そして、

待遇や経験に

どこかそんなものかと満足はしていたものの

何か肝心な

大事な何かを

見失っていたのではないかという気持ちが

見ながら

改めて

浮き彫りにされたような気がした。

 

そんな時代でもあったのだと

単純に結論はしたくないのだが、

残念ながら

他に行き当たるところもない。

 

そこに

自分の意志がどれだけあったのか

強く生きてきたのかということを

つい考えてしまうし、

 

ひよっとしたら、

 

大きな組織や確立された仕事の現場に

身を置いているだけで

何となくその気になってやり過ごしただけで、

 

肝心の

自分らしい仕事、

自分にしかできない仕事など

なかったのではないか。

 

逆に言えば

今は

会社という組織や時代の気分に

将来をゆだねることができないだけ

自分というものを持っていなければ

振り回されるだろうし、

 

年齢に関係なく

自分らしさを

しっかりと持って生きていくことが

何より

求められるということなんだろう。

 

自宅で取材を受けた彼女は

そのあとまた雪が積もった道を戻って

何次会かの呑み会に合流し、

時間も忘れて

ずっと楽しく過ごしているのであった。

 

イマドキ

そして残念ながら既にだが

こんなオヤジは見かけなくなったと

思ったけど、

 

北の果てに

こんなオトコマエな生きざま

をしている女子大生がいたなんて

 

なんてすばらしい、

 

そして、

 

カナワナイ、

 

と何度も思いながら

見てしまったのだった。