人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

東京日常劇場②春なのに

4月になった。

 

入社式の映像や新入社員のインタビューがニュースで流れても

興味が持てなかったのは既に会社を辞めてしまったせいだろうか。

 

いや、正直に書けば

あまり華やいだものを見たくない、ということかもしれない。

 

会社を辞めて半年余り、

まだ自分は何か新しいことを始めたわけでもなく

毎日何かしらの予定があったりで時間だけは過ぎていくのだけど

モヤモヤした気分はずっと変わらないし、

1日1日が早く過ぎていく以上に

金も思ったより早いスピードでどんどん出ていくので

何か気持ちのバランスが取れなくなっているのかもしれない。

 

何か準備しているとか

これから先の計画がぼんやりとでもあるのなら

違うのかもしれない。

 

しかし、

そうではないから

これでいいのかという思いが

少しずつだが強くなっているのだろう。

 

春なのに。

 

春になると

あの歌とともに

このフレーズが浮かんでしまう。

 

春、に『なのに』がつくだけで

今の自分の気分をそのまま言われているような・・・

 

『なのに』の前は、やっぱり、春、

そう

 

春なのに

 

なのだ。

 

先日、ずっと行っていなかった弁当の店に立ち寄ると

何と閉店していた!

 

テイクアウトの弁当の店で

いちばん馴染みがあり、

一時期は本当によく通っていたものだ。

 

数種類のおかずがテーブルに並べられていて

そのどれもが美味しい。

 

選ぶ楽しさ、そして、むつかしさ。

 

いつも食べたあとに

次はあのおかずを食べてみよう、

と思う。

 

でも次に行くとまた前回と同じおかずを選んで

いつものメンバーになってしまったりするので

なかなか新しいおかずを食べる機会がなかったりした。

 

それだけ、どのおかずも美味しかった。

 

しかし、

そんな店も次第に行かなくなってしまう。

 

他に同じような店ができると

ついそっちに行ってしまうし

何度も通っていくうちに

不思議なもので

同じメニューに飽きてしまったり

店のささいな対応などで興味を失ったりして

以前のようには通わなくなっていったのだ。

 

そんな中で 

久しぶりに行って選んだメニューが

前ほど感動しなかったりすると

あれ、

作る人が変わったのかな?

と感じたり

他でおいしい店のものを食べたから

味覚が上書きされたのかな?

と思ったりで

さらに足が遠のいてしまった。

 

いいときも間違いなくあったはずの店である。

 

でもずっと続けることは、本当に難しい。

 

店に貼られた閉店を知らせる紙には

11月に閉店したこととともに

感謝の言葉がつづられ、

最後に

店主

と書かれていた。

 

そうか、自分が会社を辞めてから

一度も行っていなかったのか。

 

そのことにも改めて驚いたし、

結局最後まで店主が誰かもわからないまま

通っていたことにも気づかされた。

 

客は勝手なもので、

 

久しく行っていない店でも

いざなくなってしまうと

無性にさびしくなったりする。

 

そうなる前に行けよ、

と自分に言いたくもなるが

店があるうちは

どういうわけか行く気になれず

ずっと先延ばししているうちに

ある日閉店を知る、

 

というわけである。

 

もう何度そんなことを経験しただろう。

 

閉店の知らせが書かれた紙がまた

正直お粗末な感じだったし

書かれた文字も殴り書きのようにも見えたのが

さらに切なかった。

 

秋の閉店を春に知る。

 

ビックリしてその店の前に立ちすくんでしまったが

既に桜の花びらが大きく舞っていた。

 

春なのに

 

春なのに

 

季節はまた変わる。