人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

青春ってなんだ?

昔の映画やドラマを最近よく見ている。

 

子供の頃に見た懐かしいドラマをBSでもやってもいるが

スカパー!に加入すると

毎月おびただしい数のドラマやアニメ、映画が放映されている。

 

また、都内には多くの上映館があり

そこに足を踏み入れると

こんなにも往年の映画ファンがいたかと驚くぐらい

たくさんの客で満席になっていたりする。

 

見たいものが見れるのだから、確かに嬉しいしありがたい。

 

しかし、

そうやって一つ一つが簡単に手に入ることが

何となくいいような悪いような気がして少し戸惑いがあるのは

歳を取ってしまったせいなのだろうか。

 

さて、そんなドラマや映画でよく使われているのが

「青春」という言葉である。

 

TVドラマでは本当によく使われている。

 

しかし、最近では滅多にこの「青春」という言葉を

目にしなくなった。

 

気のせいだろうか・・・

 

「青春」という少し甘酸っぱい(この表現自体古いが)言葉が

あの頃確かにあったし、何ら疑うこともなかった。

 

「青春」ドラマに夢中になって

自分もその真っただ中にいたと思っていたのだろう。

 

それがいつの間にか遠くに行ってしまった。

 

ずっと遠くの先にあるのではなく

もう見えなくなっているような感じだ。

 

そんなことを考えながら車を走らせていると・・・

 

高速道路の入り口当たりで

時々「静岡方面」とか「海老名」とか更には「名古屋」といった

厚紙を手にしている若者を目にすることがある

 

いわゆるヒッチハイク、である。

 

そのあたりは駅から近いわけでもないから

わざわざ車で来るのかな・・・

 

彼らは希望通り誰かの車に乗ることが出来るのだろうか?

 

誰かの車に乗ることは怖くないのかな・・・

 

もしも誰も乗せてくれなかったらどうするのだろう・・・

 

もちろんいくら私が心配しても仕方ないことだ。

 

それらを振り切るように車を走らせて家路を急ぐのだが

 勝手なことを言わせてもらうと

 

うまくいってもいかなくても

 

時間がかかってもかからなくても

 

それはそれでいいのだろう。

 

たぶん、どうにかなるのだ。

 

こんなことが出来るのが

少し気恥しいが「青春」そのものだとも思う。

 

うまくいってもいかなくても、

明日を無条件に信じられることが

ただただうらやましい。

 

今の私にはもちろんできない。

 

いつの間にかいろんなものを手に入れて

そんな面倒なことをしなくても

遠くに行くことができるようになったかもしれないが

同時に多くのものを失ってしまった。

 

何ができるかわからなくても

たぶん何かができる。

 

そう信じる気持ちが今の自分にはなくなってしまった。

 

それが若さであり

また「青春」のようなものだとしたら、

自分には既にないことを、はっきりと自覚している。

 

青春ってなんだ?

 

今は少しそれがわかる。

 

わかるからこそちょっと寂しいし、辛い気持ちになったりする。

 

歳を取るということは、たぶんそういうことだ。

 

今の私にはヒッチハイクの若者を応援したい気持ちが少しある。

 

自分にはできないから、それをやる人を応援したい。

 

そう、やる側ではなくもう応援する側なのだ。

 

ただ、この前たまたまかもしれないが

若い男女が同じように二人で厚紙を持って立っていた!

 

え、二人で遠くに行きたいの?

二人でも誰か乗せてくれるの?

 

そのときはちょっと違和感があった。

 

そこだけ少し「青春」が残っていたのかもしれない。