人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

夏の旅2018① ~旅行など無関心のまま過ごしてきたけれど。

サラリーマン時代、夏になると決まって家族旅行をする上司がいた。

 

行きたくないんだよ的なセリフを直前まで何度も言うのだが

信じていなかった。

言い訳しながらもしっかりと

オレは行きたいんだ、

という思いが垣間見えていたから

タイヘンですね、

と気のない返事をしていた。

 

バブルの頃もそうだった。

 

海外旅行の話がいたるところであふれていたが

正直無関心だった。

 

例外的にニューヨークにはまって

何度か年末にまとまった休みを取って出かけたが

新婚旅行で行った後からは足が遠のいた。

 

もうあれから何年たつのだろうか・・・

 

そもそも旅行や旅のたぐいにはあまり関心がないまま

人生の大半を過ごしていたのだった。

 

それに気づいたのは

今年の1月に友人と北海道旅行をした際に

いっしょに飯を食べながら

皆が皆、北海道に何度も来ていた、

という話をしたのを聞いて

心底びっくりしたからだ。

 

仕事以外で何度も、

そして家族とも来ている、

という話を聞きながら

 

そうか

みんなそうやって時間を過ごしていたのだな、

と改めて思った。

 

逆に、

自分はどうやって時間を過ごしていたのか、

とも思った。

 

あこがれの北海道だが

それまで仕事で数回訪れたことがあるくらいで

プライベートではただの一度も来たことがなかったことに

自分でも何となく不思議な感じがしていた。

 

人生において

特にサラリーマン時代はそうかもしれないが

時間的にも金銭的にもそうそう旅行など行けるものではないのだ。

 

そこには、強い意思が必要だ。

 

まわりの目もある。

金もかかる。

いろいろ調整が必要・・・。

 

それを振り切るには

 

とにかく行くのだ!

 

という強い意思が大前提である。

 

勇気と言ってもいいし、

逃避という面もあるかもしれないが

少なくとも

自分の中で何かが結実しないと行動することはできない。

 

まぁ何事もだけど

金がないからということを理由にする人はいるけど

あってもなくても

やる人ややるし

やらない人はやらない。

 

となるとだけど

自分にはその意思がないまま

人生のかなりの時間を過ごしていた

ということは、間違いないような気がする。

 

いい悪いではないけど

そして

今更どうなるものでもないけど

そんな自分ではある・・・。

 

だがしかし、

 

今ははっきり違う、

 

と言える。

 

それまでの自分ではないのだ。

 

そう、年に何度か旅をする身になっているのだ。

 

それにはあるきっかけがあった。

 

数年前から年に一度サラリーマン時代の友人と

旅行をするようになったのだ。

 

まだサラリーマンの頃からだ。

 

通称、"オヤジ旅”。

 

いい歳をしたオヤジたちが年に一度旅先で集い酒を呑んで

そしてわずかな時間を過ごす。

 

今年はそれが北海道であったので

何年かぶりに北の地に足を踏み入れ

フリーの私は時間が許す限り

一人でもさまよった。

 

その旅行は

場所も含めて企画してくれるものに参加する感じなのだが

それ以外に

何と一人旅をするようになったのだ。

 

そう、一人旅、である。

 

かつての自分にはできなかった、

いや、

想像することもしていなかった

一人旅を

どういうわけかするようになって

それを楽しんでいる自分がいるのだ。

 

そして、

はっきりしているのは

 

その一人旅を年に何度か、

 

当面はこれからも間違いなく続けていくつもり、

 

ということなのだ。