人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

東京日常劇場①旨いけど味気ない?

弁当を買いに行った。

 

テイクアウトの弁当を買う店はいくつかあって

以前よりも利用することが多い。

基本夜は自宅で食べているので

昼間は外食かテイクアウトで買ってきたものを食べて気分転換する。

 

さすが東京、

弁当を買いに行く店もいくつかあって

特長がそれぞれあるのでそれはそれで楽しい。

たまたま選んだ弁当の中身がイマイチだったりすれば

そのあと行かなくなったりもするが

逆に思ったよりおいしいメニューに当たると

その店に続けて行ったりもする。

 

しかし、その日の気分で行き先を決めているつもりでも、

よく行く店は絞られてくるものだ。

 

そこはメニューも豊富だし

味のレベルが高いせいか見た目もいいので客が多い。

今いちばん通っている店かもしれない。

 

まず20ぐらいか、もっとあるかもしれないおかずの中から

欲しいものを3つか4つ選ぶ。

それぞれ料金は違うのだ。

 

ごはんは白米か玄米を選ぶ。

時間帯によってだが大盛も同じ料金のサービスもある。

 

その日、中に入ると

 いつものようにごはんの種類を訊かれたので

玄米を選んだ。

そのあとサービスタイムでもあったので

すかさず『大盛で』と伝えたが返事はなかった。

 

それからおかずを選んでいく。

4種をふたつ。

そう伝えるとまた同じものをふたつにするか別々にするかを

訊かれたので別々に、と答える。

 

後ろ姿で玄米ごはんをよそっているのが見える。

大盛か普通かはなかなかわからない感じだったが

しつこく言うこともはばかられる。

 

それからトレイを持った店員が

どのおかずにするかを訊いてきたので

カキフライ、

青椒肉絲

かぼちゃの煮つけ、

ニラ玉、・・・

とおかずを目で追いながら選んでいった。

 

次は?次は?と 訊かれたのか

ハイ、ハイ、と言われたのはっきりとは覚えていないのだが

段取り良くおかずをトレイに盛っていく手は素早く

ちょっと訊かれるスピードが早いせいか

こっちが考える時間がないタイミングで

せかされている感じであった。

 

合計8種類のおかずを選んだ。

肉、魚、野菜と

バランスも考えながら

そして、いつも頼むものと

新しいものとを組み合わせる。

いつもの思考回路が

うまくいったかわからない感じでの8種類になってしまった。

そんなことが伝わるわけもなく

おかずを盛られたトレイはすぐに完成して

ごはんとセットされる。

 

そして最後に

お箸がいるか、

カキフライはソースがいいかタルタルがいいかを訊かれて

会計を済ませる。

 

あっという間の時間であった。

彼女の表情は最後までわからなかったが

それはつけていたマスクだけのせいではない気がした。

 

普通の、

そしてただの、

日常のヒトコマである。

 

しかし、

その日は何故か、

そして、

何となくだが

店を出た私は違和感を感じていた。

 

何か決定的に欠けているものがあるせいかもしれない。

少し心の隙間があいて満足できていないのだ。

 

うまくいえないが・・・

そして、気にしすぎなのかもしれないのだが・・・

 

その店員は間違いなく

マニュアル通り過不足なく

こちらが望むことをしてくれたわけだけど、

 

店員は客である私に

おかずとごはんを選ばせることはしたのだが、

 

『おいしいおかずがたくさんあるから

食べたいものをしっかり選んで食べてくださいね』

 

という気持ちは、全くなかったと思う。

 

選んでください、

トレイに盛ります、

お金払ってください、

というフローだけで

そこに全くこちらに対する気持ちは

かけらも感じなかった。

 

たぶん、なかったと思う。

 

客は私一人であった。

 

他に客がいれば私もそれなりに気は遣うけど

そうではなかった。

 

店員はいつもと同じように

同じペースで作業したのかもしれない。

 

また私のタイミングが

何となく遅くなっていたかもしれない。

 

でも自分が私が感じたこの

ビミョーな思いは

東京でときどき感じるものでもあるのだ。

 

客と店との距離感は

地方に行けば間違いなく縮まっているようなことが多いし

東京の場合は一定の距離が間違いなくあって

それはなかなか縮まらない。

普通にモノを買う店だとなおさらだし

そのようなものは客も望んでいないかもしれない。

多くの客をさばくには

その方がお互いのためにいいし

神経の摩擦も少ない。

 

確かにそうは思うのだが

ときどきそこに冷たいもの、

何となくイヤなものを感じてしまうのは

歳を重ねたせいなのか

一時期東京を離れて過ごしたせいなのか。

 

客は勝手なものだから

その距離を縮められるとときにはイヤだったりもするが

距離があればあったで

何か温かい気持ちのようなものを求めていたりもする。

 

気持ちというのはそれだけ難しい。

 

気持ちを持っているからといって

必ずしも相手に伝わるものではないだろうが

気持ちがないときは、またはっきりとわかったりもするだからだ。

 

今通っている店も

どこかおいしい店が見つかれば

自然と足が遠のくだろう。

そう思えば気も楽だ、

と思いながら

いつも通う店には

自分をつなぎとめてくれるものが何かないかを

ぼんやり求めている自分でもある。