人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

持つ苦しみ、持たざる悲しみ。

老後の心配は健康と金ということなのだろうか。

 

働くなって収入がなくなると

銀行の残高は思った以上のスピードでなくなっていくので

何とかしたいという気持ちが次第に強くなってくる。

 

さらに毎日のように

平均の貯蓄額や老後必要な資金などの数字が

ネットでも紹介される。

 

数字というものは情緒が入る余地がないので

それだけで不安をあおってくる。

 

しかし、考えてみれば

そんな数字はあまり意味がないはずなのだ。

 

何しろ誰もがこの先何年生きるかがわからない。

 

これが重要なポイントである。

 

そのため、

最終的な収支計算はできない仕組みになっているものなのだ。

 

だから、

平均といわれても

仮にといわれても

そんなケースの数字をもとにしたシュミレーションなど

そもそも自分に当てはめる必要などないというわけだ。

 

どう考えても

ないものはないし

あっても簡単には増えない。

 

焦って持っているものを増やそうとでもしたら最後、

うまくいくとは限らないから

その泥沼から抜け出せなくなってしまうだろう。

 

思えば

今までは何も考えなくても

持っていれば増えた時代で生きてきた。

 

貯蓄は美徳と教えられ、

素直にシンプルなルールに従っていれば

利息というプラスが用意されていたのだから

単純でわかりやすいし、

何よりおいしい、うれしい。

 

持っているだけでは減ることがないだけでなく

増えていくということが保証されていたのだから

基本的な幸せがそこには確実にあった。

 

しかし、既に社会やビジネスの構造は大きく変わっている。

 

市井の人間もアタマをつかわないと

簡単には持ち金も増えない時代になっているのだが

増えるということは減ることもあるということと

セットになっていることを理解していないし、

 そもそもが

アタマを使って金を増やす経験などしていない。

 

しかも、身近な人や組織は

すぐに信用してしまうクセがあり、

おいしい話にはつい乗ってしまいがちだ。

 

だから、

銀行だけではなく身近にある郵便局でも

いろんな商品を勧められてしまうと

つい心が動いてしまう。

 

しかし、

冷静に考えてみれば

今の時代においしい話などそうそうないはずだし、

いくら専門家が運用するといっても

失敗しても

責任を取ってくれるわけではない。

 

こちらが知らない分だけ

専門家に頼りたくはなるけど

専門家でも失敗することはあるということを

忘れてはならないし、

うまくいってもいかなくても

金融機関は手数料を取るのだから

損はしない。

 

だから

うまくいくとは限らない前提で

どうするかなのだ。

 

お金というものは

あればあったで

簡単には増えない時代だから

持っているが故のリスクや

うまくいかなければ苦しい思いもすることになる。

 

持っていなければ

確かに辛いこともあるだろうが

持っている人の苦しみは理解できないだろう。

 

どちらがいいというわけではない。

今の自分がどちらになっているかだけなのだ。

 

金に限らず、

家族だって

仕事だってそうだろう。

 

生きていくうえで

手に入れるものすべて、

持つ苦しみ、持たざる悲しみがある。

 

だから

結局、

今の自分を受け入れるしかないということだし、

そのうえで

惑わされずに生きていくだけなのだろうけど。