人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

メルカリを始める⑯~モラルは必要なのか?

やっと夏の甲子園が終わった。

 

無職の身だから今年は決勝戦をゆっくり自宅で楽しんだのだが

昨今「甲子園の土」がメルカリで取引されることの是非が議論されている。

 

あの「甲子園の土」である。

 

まさかメルカリに出品されているとは・・・

 

細かくチェックしていないから何とも言えないが

「甲子園の土」は出場した選手が持ち帰って

そのまま出品しているのだろうか?

 

それとも誰かから譲ってもらったものが

捨てるに捨てられず

思い入れがないこともあって出品しているのだろうか?

 

高校球児にとって甲子園で野球をやるというのは大きな夢だから

試合に敗れて土をかきわけながら袋に入れるシーンは印象深いし

感動を呼ぶ。

 

それがメルカリに出されると

何となく違和感もあるということなのだろう。

 

しかし、これまたよくわからないけど

甲子園に出場した選手の全部が「甲子園の土」を

本当に欲しいと思って持ち帰っているのだろうか。

 

仮に持ち帰ったとしても

その後大切に取っている人がどれぐらいいるのかはわからない。

 

そのときは興奮して持ち帰っても

時間がたてばどうでもよくなるということだってあるだろう。

 

これはコンサートやイベントに行って

そのときは興奮してパンフレットを買っても

持ち帰ってから読み返すことなく

どこかに置かれたままになっているようなことにも似ている。

 

ひよっとしたら明らかに転売目的で

「甲子園の土」を持ち帰る選手もいるかもしれない。

 

でもそれは本人しかわからない。

 

メルカリのいいところは匿名での取引だから

誰が出品したかはわからないまま売買できる。

 

西城秀樹さんが亡くなったときも

葬儀で配られたものがメルカリで出品されて

同じようにニュースになっていくら何でもひどい、

という意見が出ていた。

 

確かにそうかもしれない。

 

 

だが何にしても手にしているものが必要ではないと

思えるときはいつかくるかもしれないのだ。

 

そのときはそうではなくても

時間がたてば気持ちも変わることだってあるし

それはその人にしかわからない。

 

今思い出したのだが

私もかつてある人のお別れの会にいったときに

配られたポストカードを

メルカリに出品したことがある。

 

かなり昔のことでもあったし

それが出てきてビックリしたぐらいだが

そのまま捨てるには忍びないし

欲しい人がいれば譲りたいと思って出品したのだった。

 

それは程なくして売れた。

 

私がそのまま捨てるより

どこかにしまっておくより良かったと思っている。

 

モラルがなかなか成立しない時代である。

 

「甲子園の土」もひとときの思い出にしかすぎないし、

ドラマは一瞬で終わる。

 

残された土は、ただの土である。

 

その人のドラマの一部であったとしても

時間が過ぎればどうでもいいものになるかもしれない。

 

それをかつては庭にでもまかれていたかもしれないが

今はメルカリがあるというわけだ。

 

それが他のモノと同じように出品されているだけである。

 

メルカリのルールを規制することにも限界があるだろうし、

メディアもこれだけ損か得かを煽っている以上

そこにモラルを持ち込むことはなかなか難しいかもしれない。