人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

メルカリを始める⑥~適正価格とはなにか?

私たちは日々の生活の中で何かを買って

暮らしている。

 

生きていくためには食べることが欠かせないから

どこかで食べるものを買っているというわけだ。

 

どこで買うのか。

何を買うのか。

 

それぞれの生活圏の中で、おおよその「買う」パターンを持っている。

 

その買うという行為は

常に安全で安心の適正価格があるからこそ

日々の平穏が維持されているともいえる。

 

そんな中で自分で値付けをして

しかもそれを他人に買ってもらえる、

というのが

メルカリの大きなポイントでもあるのだ。

 

自分で買ってほしい値付け、

買ってほしい価格を自分で設定するという行為、

 

がまず大前提である。

 

しかもその価格は随時変更することができる。

 

フリーマーケットだと値札を何度も書き換えるのは大変だろうが

メルカリの場合、入力変更だけで済むのだからきわめて簡単だ。

 

それでも残念ながら買ってもらえないモノも結構ある。

 

メルカリには興味を持ってもらっているかの目安になる

閲覧数を確認できる仕組みがある。

何人がその出品物を見に来たかが数字で表示されるのだ。

 

この閲覧数が多くても売れるかどうかについては

何とも言えない。

 

興味を持ってもらえたとしても

買ってくれるかどうかは別の話だからだ。

 

閲覧数が多くても売れ残っていたモノが

 何度か値下げしていくうちに売れることもある。

 

これはそもそもの値段が適正ではなかった、

ということなのだろうか。

 

その値段なら欲しい、という人が現れたということは

その価格あたりが妥当ということなのか?

 

メルカリには関係ない話であるが

少し前にこんなことがあった。

 

地域イベントで地ビールが呑めるというので

立ち寄ったところ、

ある家族が自家製のピクルスを作って販売していた。

 

美味しそうなピクルスが瓶詰めされていて

確か700円か800円だったと思う。

 

ピクルスの適正価格がいくらかは知らない。

だが、正直ちょっと高いと思った。

 

家族なりに何度も試作して今日の日に備えたのだろう。

そして値段も検討してその味であればこれぐらいの価値は

あると思ってつけたのかもしれないが

もともとプロが作ったわけではないピクルスとしては

どうだったか。

 

少なくとも私は買うかどうかの検討以前に

その値段を見ただけで興味を失っていたのは間違いない。

 

「ピクルス、いかがですか?」

若い夫婦が道行く人たちに声をかけていたが

残念ながら買う人は現れない。

やがて、小さな子供が加わって更に大きな声を出していた。

「ピクルス、いかがですか?」

 

私はちょっと辛くなって結局その場を離れてしまったが

その後ピクルスは売れたのだろうか?

 

更にこんなことも思い出した。

 

会社近くにワンコインでランチが食べられる店があった。

 

ここがすごいのはワンコイン(500円)のランチメニューがいつも

5~6種類あって日替わりだったから

飽きることはないし、

おまけにご飯の大盛なども出来たから

若いサラリーマンがいつもあふれていた。

 

その店があるとき値上げした。

 

今まで頑張ってきたけど限界なのでワンコインを

550円にすると張り紙があった。

 

たかが50円である。

私はその値上げもあまり気にならず

いつものように店を訪れていた。

 

しかし、何となくだが

客が少なくなっていたのだ!

 

え、500円を550円に値上げしただけで

こんなに違うの?

 

いつ行っても前のように客はいなかったし

何となく空いていた。

 

店主はどう思っただろうか。

こんなことなら500円のままで良かったと

後悔したりしなかっただろうか?

 

客が多かったのは味ではなくワンコインという

値段設定のためだったのか?

 

どういうわけか私も客がまばらになったその店から

いつの間にか足が遠ざかってしまっていた・・・。

 

値段のつけ方は本当に難しい。

 

客はどうしたら気持ちよく金を払ってくれるのだろうか?

 

また買ってもらう側もただ買ってもらってOKなのか

それとも満足とか納得を手に入れるためには

何か別の何かを考えたらいいのだろうか。

 

ずっとアタマにあるのは

適正価格とは何か?

ということだが

メルカリをやりながら、もう少しモガイテみよう・・・

と思っているところである。