人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

なんてったって、キョンキョン。

小泉今日子の件は、いろんな意味で衝撃だった。

この話題は今『不倫宣言』として大騒ぎになっているようだが

この切り取り方も含めて私にはとても違和感があるので書いてみたい。

 

①モノゴトは二元論で語れない。しかし、選べる行動は一つしかない。

 

今回の件は不倫という側面もあるので、

そもそもの根底に不倫はダメだ、という考えが世間には根強くあるようだ。

 

しかし、本当にそうだろうか?

 

一般論で不倫はダメだとしても今この時に起きていることは

すべて固有の事象だから本当のところは当事者しかわからない。

いや、当事者だって時間がたつと変化していく感情もあるだろうから

実のところよくわからないというのが本当のところだろう。

 

誤解してほしくないのだが、

これは不倫を肯定しているということではなく

いい悪いの二元論で結論できるものではないからこそ

他人がとやかくいうべき問題ではないということなのだ。

 

特に今回は、何かを最終的にしたという結論の報告ではなく、

今の状態の説明をしただけだから尚更、何もいえない。

 

正確にいえばこれからどうなるかわからない中でした説明だから

追及されても困るのは明白だ。

 

それなのにマスコミは相変わらず本人を追いかけて

これからどうするのかとか、結婚するのかとか急いで尋ねている。

 

でも誰だって決まっていないことや

迷っていることは日々の中でたくさんあるのだろうし、

答えが出ていない時期があるのも当然ではないか。

 

私たちの生活は常に安全地帯の中でのみ成立しているわけではなく

さまざまなことが起きる。

 

いい悪いでは判断できないことも毎日のように多くある。

 

だからこそ、見守るしかない、ということなのだが、

自分の気持ちがあやふやな状態でも

時間軸において取るべき行動は一つしか選択できないのも事実だ。

 

そこに苦悩が生まれる。

 

すぐ結論が出せない問題も当然あるだろうし、

自分ではどうしようもないことだってあるはずだ。

 

だからそこにドラマがあるのだが

最終的には、その人にとって大事な教訓も生まれる、

ということだとも思う。

 

②弱者のレッテルを簡単に貼るな。そこに踏み込むことは不遜だ。

 

今回もそうだが、よくいわれるのが

『奥さんがかわいそう』『子供のことを考えるとつらい』

といういかにももっともそうな意見である。

 

これも、本当にそうなのだろうか?

 

家族になればパートナーだけではなくその子供も含めてすべて

その家族の一員が起こすことを喜びだけではなく

苦しみも併せて共有しなければならない。

 

些細なことも、大きなこともだ。

 

家族であるだけで享受するのは、いいことだけではなく辛いこともあるだろう。

 

しかし、だからこそ家族の絆も確認できるし、

何があっても家族である限り、仕方ないことでもあるというのが

私の考えだ。

 

だから、

今回のようなことが起きてこれからどんな展開になったとしても

その人に対して勝手に不幸と決めつける考えはいかがなものだろうか、と思う。

 

何故そこまで踏み込んで、もっともらしいが無責任な意見をいえるのだろうか?

 

何より不幸と決めつけ弱者のレッテルを簡単に貼りつけることこそが

不遜じゃないか。

 

どんなことが起きても当事者はその瞬間から、成り行きを見守って

そこで起きることを受け入れるということしかないし、

それを他人がいうべきでも裁くべきでもないと思うのだ。

 

③すごいのは自分に対して逃げなかったこと。誰もができることではない。

 

誤解を恐れずにいうなら、

私は今回何より、小泉今日子という人が

少なくとも自分に対して逃げなかったことがすごい、と思っている。

 

日々の生活の中で、人は毎日いろんな判断をしながら暮らしている。

いいことも悪いこともたくさん起きるし、考えるし、身に降りかかる。

 

自分が望まなくてもよこしまな出来事も起きることがあるだろう。

 

人に迷惑をかけたくはないと思っていても

結果的にかけてしまうことだってあるだろうし、 

逆にそれを避けるような生き方をすることもできる。

 

それをいいともいえないし悪いともいえない。

何故なら、その人の人生だからだ。

 

しかし私もだが、そんな毎日の中で

自分にとって都合が悪いことや面倒なことは

なるべくしたくないと思うし、

判断や行動をスルーしてしまうことが多い。

 

自分に向き合ってその結論を出したり次の行動をするのは

相当なエネルギーがいるし、時には勇気も必要になるからだ。

 

しかし、彼女は逃げなかった、自分に対して。 

 

自分に向き合い、ごまかさず、

素直な気持ちで嘘をつかないで

思う通りに自分を押し通すことは、

当たり前なようで、実はいちばんできないことだからだ。

 

そこには倫理や正義や世論などの計算はなく、

ただ、起きていることを受け入れるという

彼女の強さを大きく感じる。

 

だからこそ、

『自分の罪は自分で背負っていきます』

という彼女の言葉は

小泉今日子という女性の生きざまが、

凝縮されていて、

ただただ圧倒される。

 

人は人を裁くことはできない。

 

そして、結局のところ

今自分に起きていることを受け入れる強さや

それをもとにした勇気が

次の道を作っていくということなのだろう。