人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

メルカリを始める⑩~値下げ交渉の難しさ。

私はもともとお金に頓着しない人を無条件に敬服したり

素直に好意を持ったりする傾向がある。

 

お金に頓着しない、というのと

浪費する、はもちろん似て非なるもので

同義語ではない。

 

生きている限りお金とどうやって向き合うのかは

深くて大きなテーマなので

うかつに否定も肯定もできないが

 その人を好きになれるかの基準の一つが

その「お金に頓着しない」という点のような気がするし

私はそれが「育ちの良さ」にかなり近いとも思っている。

 

ではその「育ちの良さ」とは何か?

 

これまた「お金持ちの家に生まれる」でもなく、

どちらかといえば

「お金に縛られずに自由な環境の中で育つ」

の方かもしれない。

 

これって、実はなかなかできないことだと思う。

 

そしてモノゴコロついたとき

既にどちらかに振り分けられている・・・

 

お金があるなしに関係ない中で育まれるから

 体質やDNAのようなものだし、

生きているうちになかなか変えられないものの一つかもしれない。

  

私がそこに憧れのような気持ちを持ってしまうのは

たぶん自分の根っこにそれがないことが影響しているからだろう。

 

「お金に頓着しない」の逆は

「金銭感覚がしっかりしている」とか

更にそれが強くなると「ケチ」ということだろうか?

 

私に限って言えば大人になるにつれ

特にそうありたくないという気持ちが強かったので

細かいお金のやり取りに目を背けたり

思い切ってお金を使う練習もしたものだが(?)

未だにその根っこはどこか冷めたままである。

 

だから自分が値切ることについては苦手なくせに

あとで値段交渉しておけばよかったと思うこともしばしばで

結構ややこしくて複雑なのだ。

 

さて、

メルカリをやると必ず悩むのは、

値切り交渉についてである。

 

誰かも書いていたけど

たった100円やそれ以下の値切り交渉をされると

正直気分がいいものではない。

 

実は今朝一つ売れたのだが

777円を700円してほしいという値切り交渉を

引き受けてのことだ。

 

たった77円である。

 

しかもこれは値段を段階的に下げている。

当初よりはかなりの値引きをしているのだ。

 

こんな値引き、正直自分にはできない。

 

しっかりしているのか、ケチなのか・・・

 

そんなときはとりあえず気持ちを整え

発想の転換をしてから

その人なりの金額のイメージがあるのだろうな、

と自分自身を説得する。

 

そしてコメントから

丁寧さがあるかを確認した上で

取引が問題なくいくような気がすれば

基本受けるようにしている。

 

そう、

値段より問題なく取引できるかの方が大事なのだ。

 

逆に

いきなり半額以下の金額を提示されたり

一方的な物言いの失礼なコメントがくることもある。

 

そんなとき説明の必要がないと思えば

「ごめんなさい」の一言にするし

折衷案的な金額を逆提示するときもある。

 

ある程度の譲歩はもちろんするつもりなのだが

要するにその取引をどう読むかなのだ。

 

しかし、そんな人からは決まって返信がない。

 

金額が折り合わなければ「検討します」と返信して

買わなければいいだけの話なのに

途中で投げ出してしまうのだ。

 

失礼な人とはかかわりたくない!

 

たぶん取引しても揉める可能性があるから

最近ではすぐにブロックするようにしている。

 

本当に欲しかったのだろうか?

それとも

安ければ買ってもいい、

ぐらいだったのだろうか?

 

買う人の気持ちはそれぞれだし

買ってくれる価格もさまざまなのだから

ある程度は許容して忍耐強く対応するつもりだが

あくまでも気持ちよくやることが大前提だと考えている。