人生は再生の物語である。

59歳無職から還暦のリアルへ。

歳を取るということは①~とんでもない間違いをすることがある。

先週、大学時代の友人ムラヤマと呑んだ。

楽しい酒だった。

 

夕方、駅で時間を決めて待ち合わせることにした。

 

先に店を決めて予約することもできたのだが

大した店にいくつもりもなかったし、

ぶらぶらしながら店は気楽に決めることにしていた。

 

約束の時間より少し早く着いた私は

駅前をふらついて困ったときどうしたらいいかを考えながら

候補の店をいくつか品定めしていた。

 

これは性分なんだろうな。

営業職だったころの名残かもしれない。

 

駅の正面口で待っていると

ムラヤマは改札口からではなく横から声をかけてきた。

 

そのあと店をどうするかとなって思わず笑ったのは

彼も同じ行動をしていて

ナント私が思っていた同じ店をいの一番にあげたことである。

 

「東京で一番安くてうまい店」

 

こじゃれた店より声が大きくなっても許される

チェーン店の方がいいと思っていた私は

すぐに合意してそこに向かった。

 

18時までならビールが半額とか

カードを作ると安い価格が適用されるとか

そこのルールに従って

どんどん呑んで食べた。

 

幻の焼酎もあったのでそれも二人で呑んだ。

 

楽しい時間はあっという間に過ぎたのだが

会計となって目が覚めた。

 

8千円超え。

一人4000円強。

 

え、まさか。

 

私のカンカクでは3千円ぐらいかと思っていた。

 

レシートを慌ててチェックする。

 

ビールが半額になるというので

追加で何杯か注文したのだが

それが半額になっていないのでは?

と訊いたら

最後にまとめて割り引いていますと言われる。

 

酔いが回っているアタマでは

それ以上アイデアもなければ

指摘もできないのは明らかだった。

 

「4千円でいいよ」

 

今も働いているムラヤマはやさしくそういって

先に1万円札を出した。

 

さて、それから自分がしたことが

予想もしないことであった。

 

私は千円札4枚出すつもりで財布を出して

中をチェックしたら

千円札は十分間に合ったので

そのまま数えて出せばいいはずだった。

 

しかしその時私は

どうやら千円札4枚ではなく

5千円札1枚と千円札1枚の6000円を出して

ムラヤマに渡したのだ。

 

会計は小銭が発生することもあるし

多く出す方のムラヤマがすると思っていたので

私が自分の分を出せば済んだのだが

どういうわけか

4000円ではなく

6000円を渡してしまった。

 

どうしてこんなことが起きるのだろうか。

 

1万円札が目に入ったことで

自分が4000円払えばいいと思ったものの

そこでどういうわけか

1万-4000円=6000円

という計算をしてしまい

逆に6000円払ってしまったのだろうか。

 

明らかな取り違えである。

 

よく老人ドライバーがブレーキとアクセルを踏み間違えて

事故を起こすことがあるが

つまりそれが歳を取るということなのかもしれないな。

たとえ職業で乗っている人でも同じように単純な間違いをすることが

あるのがこわいところだ。

 

今回のことでいえば多分だが

「安いと思って入ったら、結果的に高かった」というチグハグ感に惑わされた上に

「千円札を4枚出すのはメンドクサイ」

「千円札を4枚も使いたくない」

というヘンな思いがよぎったことで誤作動が起きてしまったのだろう。

 

その後少し時間がたってから

なぜか急にその間違いに気づいてしまった私は

財布の中身を確認して、

5千円札がないことも確認してからだが

ムラヤマにメールで確認した。

 

どうやらその通りだったようだ。

 

ホッとした。

 

この安堵感はどう表現したらいいのだろう。

 

間違いがあってもとりあえず友人との間のことで済んだことで

とりあえず良かったということもあるし

急にこのことに気がついて良かったというのもあるかな。

 

何となく割り切れないままだが

 

そうか、

歳を取るということはこういうことなんだな、

とんでもない間違いをすることもあるんだな、

 

と思ったものだ。

 

しかし、こんなとき

どういうわけか急に間違いに気がつくのだから

不思議だ。

 

ブルーレイで録画しようとずっと思っていたタイトルを

セットしていなかったかな?と

どういうわけか旅先で急に思い出して気になったり。

そういうときは間違いなくその予感が当たっている。

 

そのときしようと思ってしなかったことが

記憶のどこかに残されているようなのだ。

 

まあそんなこともよくあるのだけど

それはそれでまだいいのかもしれないな。

 

やがては、

 

知らないなら知らないで幸せじゃないか、

 

と自分に言い聞かせる日が

たぶん来るのだろうから。